2007-05-31-Thu 
そして、初日は明いた。
同じ劇場で同じスタイルの芝居をやって6年、20回目の初日。
また初日か、と思うし、ようやく初日か、と思うし、まだ初日は続くと、思う。
頭の中でぐるぐるその言葉が回る。
先週、うちの劇団の人間が交通事故に遭った。
とりあえず、無事ではあったんだけど、思いの他、ショックが大きい。
でも、初日はやってくる。
来週もまた初日がある。
そのVol.21をまだ作り続けている。
作品を作れる場があることが単純に、純粋に嬉しい。
まだ、できる、まだやれると思えるのは楽しいことだ。
小屋に向かう途中、今日、私がこれから本番に向かってやらなければならないこと、そして、今日の本番が終わった後で、どんな状態になるのか、まで、見当がつく。
同じスタイルのことを6年もやっていて、20回もやっているのだ。
今日という一日が、あっという間に過ぎていくんだろうな、ということもわかる。
そして、道行く人々にとっては、今日という一日は、なんでもない水曜日でしかないんだろうなあ、とも思う。
いつもの水曜日。
「初日っていうのは、やっぱりじんのさんも緊張するんですか?」ということを初日によく聞かれる。
「うん、そうだねえ、やっぱりねえ」と言葉を濁したりする。
緊張っていうのかなあ。と、自問自答する。
自分の感情が虚脱に近いものであることはわかっているが、それを、本番の直前まで、私が叩き書いた台本を手にしている俳優達の前で、その言葉を口にするのはためらわれる。
台本はすでにしわくちゃになり、マーカーで塗りつぶされた自分の台詞睨み付けている俳優達がわらわらいる側で一人「虚脱かな」とは言いにくい。
「緊張するよ、そりゃあ」と、嘘でも言わなければならない。
なぜなら、私は嘘をつくのが職業だから。
でも、と、そこでもまた思う。
「緊張するよ、そりゃあ」と言っているのは、本当に嘘なのか? と。
虚脱している、でも、それは、崩れ落ちている虚脱ではない。
立っている虚脱。
立ちつくしている虚脱だ。
その虚脱にはまだ、倒れてはいけないという意思が残っている。
倒れるわけにはいかないという環境を私は持っている。
それをもしも「緊張」というのなら、私は初日を前に緊張しているのかもしれない。
虚脱しながら緊張し、緊張しながら虚脱している。
と、言えばいいのか。
それでわかってもらえるだろうか。
同時に「実は次のことを考えているんだ」と言っていいものなのかどうか。
同じスタイルでやっている以上、今、目の前でできあがったものが、次のハードルになる。
ハードルは上がっていく。
でなければやっている意味がない。
でも、このハードルはどこまで上がっていくのだろうか?
そのハードルを見上げると、そこでまた立ちつくす。
虚脱する。
そして、新たな気持で緊張する。
演劇を作る過程において、実際に稽古している時間は実は微々たるものでしかない。
それ以外に費やされる時間と、言葉が演劇を成していると、ようやく最近、気がついた。
稽古してうまくなる、と思わないでと稽古場では言い続けている。
それは幻想です、どこかの誰かにすり込まれた宗教です、と言っている。
何度もこのブログに書いているけど、この私の本番中に、別の場所で二つ、私の戯曲が上演される。
今週末のことだ。
その進行状況が、ブログやら、メールやら、電話やらで報告される。
そして、六月には二つの舞台が月末に幕を開ける。
その様子も、刻一刻、報告が入る。
みんな静かに戦っている。
大勢の人と楽しい時間を過ごすためには、どうすればいいのか?
ただこれだけのことのために。
少しづつだけど、私が思い描く理想の環境に近づいて来ている。
なんでもない日常の水曜日。
だけど、私達にとってはかけがえのない特別な水曜日であるために。