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それは橋本治さんなんだけどさ、実は。

以前になんかの本で、橋本治はいかにして橋本治になったのか?ってこをと書いたのを読んだことがあるんだけど、その時は「へえ」って思っただけなんだけど、あれって、書くの勇気いったと思うんだよね。

そういうのがきちんとできるからすごいよなあ。

私はなにで構成されているのか?
なにに影響されているのか?

影響されているというのは、コンプレックスを書き出すことに他ならないという一面を持っているのに。

前の彼女に「あなたはまだ色川武大さんの『狂人日記』を越えるものを書いていない」と別れ際に言われたことがトラウマになってはいる。
『狂人日記』のようなもの、というのは『狂人日記』のようなものということではもちろんない。
「惜しいところにいるのにね」と付け加えられたのも、さらなるダメージとなって残っている。

確かに、その通りだ。
あと、中島らもさんの『僕が踏んだ街と僕が踏まれた街』のロックンロールドックの、たったあれだけのエッセイに勝る短編が未だに書けていないとも言われた。

リスペクトする作品を並べることは簡単だ。
でも、コンプレックスを書き連ねるのは、容易なことではない。

が、やるけどね。

私を構成している物は、プラスの物ばかりではない。
タイトルは『ナイトメアビフォーバレンタイン』。

キャッチコピーは「これ、パクリですか」
        「ちがうよ、ぎりぎりちがうよ」
        「どこがギリギリなんですか?」
        「どこまでがギリギリだと思う?タイトルに著作権はないからね。バレンタインがやってくる度に、未だに国生さゆりの『バレンタインデーキッス』ってっかかるじゃない山下達郎さんの『クリスマスイブ』とかさ、季節物ってきうか、記念日モノ、結婚式の定番とかもね。あれのバレンタインデー版をつくりたいのよ、バレンタインデーが来る度に、恋人同士で見られる映画。『私をスキーにつれてって』みたいな感じで、なおかつ、変なキャラクターが出てくるの、まるいドクロみたいなのとか、傷の縫い目だらけの彼女とか」
 「大丈夫なんですか?」「どうおもう?」

  パクリの限界はどこか。そして、リスペクトとはなにか?
  リミックスとは何か? 新しいモノなんてなにもないからしょうがないじゃん。捨て身のエンターテイメント。

  タイトル、気にいってます。

 ナイトメアビフォーバレンタイン、なにかありそう、いろんな意味で。
 そして、結局なにもなさそう、いろんな意味で。
 でも、オリジナルとそうでないもの、インスパイアとかって便利なことばはどこまで便利か?

 影響をうけるとか、はたまたどう見ても盗作を、自分の思いつきと言い張るための話術とは?

 話は無限に広がっていく、ギリギリの話達。


携帯サイトにまたしても膨大な分量のテキストを上げたところ、読みにくい、分量が多すぎて読む気が萎える、という率直なご意見のメールをいただきました。
変更はしませんが、今後対策を考えます。

結局、長い文章はこっちの方がいいってことだよね。

で、またちょっと長いお題をふりますが、

今、部屋にある本やらビデオやらをどんどん捨てているんですよ、というのも、なんだか、日に日にゴミが捨てづらくなってきていて、なんだか物が捨てられない日が来るのではという恐怖が芽生えているところ。

で、早いとこ手を打とうと。

するとね、なにが本当に手元にひつようなのか、がわかってくると同時に、なにが 今の じんのひろあきを形成しているのかが、わかってくるんだよね。

じんのひろあきを、なしているものはなにか?

ちょっと、その捨てられない本達を上げていくことで、私が浮き彫りになるかもしれないなと。

自分にとって重要な本である、人から見るとどうでも良い本の弁護をちょっとシリーズ化してやってみたらどうだろうと。
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=hjinno04

こちらです。

このホームページ、どうしようかな。
舞浜に行って一週間。
この数日は大崎に通っています。

台風が近づいていて、流れる雲の早さが心地良いです。



昨日の舞浜の空は綺麗だったなあ。
ディズニーランドの後ろのホテルに続く川縁の土手で三脚を立てて大判の写真を撮っている人もいたくらいに、美しかった。

遠くに富士山が見えた。

そして、ディズニーランドで売ってるあのポップコーンの甘い香りが漂ってきた。

そういえば、この一年、空をこんなに見るってことがなかったなあ、と思った

芝居六本書いて、劇場に二ヶ月居て、稽古場に一ヶ月いて、小説を一本とちょっと、850枚くらい書いてたら、そんな余裕がなかった。

あ、映画も二本書いて、二本とも没になったなあ。

今、また別企画を書き始めたところ。
企画を立てるんじゃなくて、別企画で書き始めたところ。

難儀なことだ。

NHKの『携帯大喜切』を見る。
板尾さんの一挙一動、そして、発言に釘付けになっているのに気がつく

好きなんだなあ。本当に。


小説をかくサイトがあったんで自分用のを作ってしまった。

どれくらい効果があるものなんだろうか?

でも、自分で細々とホームページやっているよりも、もっと間口は広そうな感じ。

そして、そこにもちゃんとブログがあって、メールが送れるようになっていて、もう、いろんなものがいらないくなってきてるじゃん。

 本番一ヶ月、その前にスタジオを借りての2週間昼夜稽古。
家事らしいことをほとんどしてなかったもんだから、ご自慢の7畳あるベランダなんか、背の高い雑草が群生している。

その刈りとりからだ。
そして、夜、劇団のミーティングがあるので、部屋の中のハウスダストを隅々まで掃除器。
劇団の中にひとり、本人は猫好きにもかかわらず、猫アレがいるので、とにかく慎重に隅々まで、掃除機が加熱して触れなくなるまで可動させる。

それでも、途中で力尽きた感じ。

昨日『サイレントヒル』をみた。
ゲームも昔ちょっとやったことがある、というかちょっとやってやめたことがあるので、雰囲気がよくもまあ、こんなにというくらいに再現されていることに驚く。
そして、話は無茶苦茶

あからさまなアイテムゲットの瞬間。
そして、そのアイテムによって新しい道が開ける瞬間。
なんだ、これはゲームみたいだ、とゲームが原作であるにもかかわらず、そうつぶやいてしまうところが何カ所もあった。

カメラ美しい。
そして、これはR13とかだけど、どう見て15以上だと思う。
基準はなんなんだろう?
敵キャラがまき散らしている内蔵を丁寧に分で歩く描写とかひつようなのか? と目を疑うよ。

そして、鉄条網で体を貫かれてバラバラにされたりとか、あと、ゲームの時にまず引いた、あのグロテスクな敵が、すごく丁寧に再現されていて気持ちが悪い。上半身が三角定規のあいつってば、なんの象徴なの?
 三角定規が持っている、なにかのイメージの具現化なのか?
 人にとって三角定規って、いったいなに?
 そんないろんなことを考えていると主人公はただ灰の降る広い街を一人とぼとぼと歩く。
 のが美しい。

 よく、あのグロゲームをまとめたなあ。

 これなら『バイオハザード』とか『デビルメイクライ』の方がまだやりやすかろうに。
残すところ後一日。
最後の千秋楽。
しかも、ワンステのみ。

終わっていくんだなあ。
なにごとも終わりある。

今年の劇団の公演はこれで終わり。
寂しいなあ。
また、部屋にこもってマグロをじゃらしながら、ワープロを打つ生活に戻るのか。

全然、ちがう新しい企画のものを書き始めた。
でも、企画書にするのか、現物を作ってしまうのか、今、悩んでいるところ。

どれから手をつけようか、芝居が終わるまで考えないようにしようと思ってたけど、終わってしまうよ、考えないと

さてさて。



そして、アフタートークというの毎週やってるんだけど、今週は今日がその日。

話が脱線しまくって、気がついたら予定の一時間をとっくに過ぎていてびっくりした。
慌ててまとめに入って、おひらきとなる。

もっと突っ込んだ話がしたいんだけど、いかんせん時間が。
毎日できると本当はいいのかもしれないけど。

やはり、終演後に活発なサロンが用意されている、というのが理想だなあ。
 もうずいぶん前から、集めているんだけど、スティクファスってのがあって、シンガポールの4人組のアーティストが作ったボールジョイント方式のアクションフィギュアキットなんだけどね。
 名前のスティクファスは「サクサク作れる!」という意味ので、プラモデルみたいにランナーについた部品をニッパとか爪切りとかで切り落として、ボールジョイントだからはめ込めばすぐにできあがるし、ボールジョイント、つまり、球体関節なんで、自由にポーズもとれるわけですよ。
 あと、よくわかんないんだけど、ポストカードも入ってる。
 手のひらサイズのフィギュアだから大きさとしてはミクロマンサイズですね。
 各関節のジョイント部分はこのシリーズの他のどの商品とでも互換性があるんで、レゴのように組み替えることもできたりするんです。
 で、これがね、微妙に遊びづらい。
 インディアンがいたり、翼竜セットには大きめの翼竜がついてるんだけど、サーフボードに乗ってる奴もいるし、あらゆる時代のあらゆるものが、ものすごくランダムに商品化されているわけ。
 色とか、デザインとかフォルムとかは、統一されているんだけど、それ以外はもうめちゃくちゃなんで、遊ぶにしても、絡みづらいんですよ。
 わかるかな、絡みづらくて遊びづらいって。
 私はほぼ一人っ子なので、そういう人形のようなものがあると何時間でも遊んでいられるんだけど、このスティクファスだけは、なんだろう、物語が全然広がっていかないんだよね。
 オモチャで遊ぶ、っていうことができなくなってきたのかなあ。
 本当は『トイ・ストーリー』でやってたように、素材もデザインもなにもかも違うオモチャを一同に集めて、それを全部使って遊ぶってのが、オモチャの遊び方だったはずなのに、なんでこんなスティクファスで、ノッキングしてるのか、自分でも良くわからない。
 最近、キャラ物って使う物か飾る物かのどっちかになってきたから、遊ぶってことをしてないっていうのもあるっちゃあるんだけど、でも、これ、遊びづらいんだよな。
 なんでだろう。
 みんなはどうしてるんだろう?
 キューブ系みたいにコレクションによっての満足感で終わっているのかな。
 あ、でも、キューブでも普通に手足を動かしたりして遊んでいる人とかいたら、すごいな。
 とか言いながらも結構な数あるんですよ、家には。
 翼竜とか細かい部品なくなっちゃってるんで、もう飛べませんけどね。

4週に渡る週替わりの公演をこなしているにも関わらず、ちょっくら、サンシャイン水族館に行ってきた。

いや、海の生き物はいいねえ。
アルビノの蛇がいた。
8の字に体を折りたたんで寝ていた。
蛇は好きではないのだけど、その体を覆う白い鱗のまばゆいばかりの白い光に目を奪われてしまった。

この蛇は自分が白い貴重な生き物であることを知っているのだろうか?

蛇にそういう認知能力があるかどうかは別にして、というか考えずに、自分が他の同種の蛇とまったく違う存在であることをどのくらいわかっているんだろうか。
と、答えのない疑問の答えをついつい探してしまう。

そして、さらに自分が他の蛇と違って、水族館の中で、池袋のサンシャインのビルの側の八階といういわば空中庭園の中で、四六時中人目にさらされ続けなければならないというのはどういう気持ちなんだろうか?

それはストレスですよね、なんてことでは片付かないことだろう。
だって、そのアルビノの蛇はその水槽の中が、自分の世界であり、外から見られるのが日常なのだから、それが人生の大半なのだから。

うちにいるマグロくんは家猫で、外の世界を知らない。
時々散歩に連れて行くと、野良猫を発見して、ふー!とか音を立てて近づいていく。
それが、仲良くなりたいのか、怒っているのかはよくわからないんだど、まったっく物怖じしないで近づいていく。
が、逆に、向こうに、ふううう!ってさらなる迫力ですごまれて、びびって走って戻ってくる。
いったい、なにがしたかったんだとそこでまた改めて思う。

とりまく世界は小さい。
白い蛇が水槽の中に一匹だけいる。
その蛇は唯一無二の世界の中の間違いのなく、多数であり、大勢であり、圧倒的な存在であり、それ以外はない。

美しい白い蛇が一匹いる。
でも、その水槽という世界に一匹しかいなければ、比較の対象がない。
比較は自分で自覚することができない。

他者がこの蛇は他の蛇と比べて、美しいと思う。
貴重な存在であると思う。
でも、本人には、本蛇にはその自覚はないだろう。

そして、本人、つまり白い蛇がそれに気づいてなくても、それでも、その蛇の存在は人の胸に残るだろう。

蛇は好きになれない。
でも、そのアルビノの蛇は、もうちょっとだけ、見つめていたかった。



これで第141話まで来た。

まだ折り返さない。6年やってこの数字だ。
300話は意外や意外、遠い彼方だ。
でも、まだやれることがある、と、終わるたびに思う

ああ、続けていたいなあ。

いくらでもできるのに。

もっともっと生命力に溢れる飢えている人、演劇のことなんか知らなくてもいいから、自らの表現欲求に押しつぶされそうな人と、なんとかして出会えないものか、そればかり考える。

そして書き続けたいんだけど。

昨日、ガールフレンドとラーメンズがNHKから出しているDVDを見た。
小林さんのコメントが間にあって「ダンスとか、絵画とかの表現の形態の一つとして、コントという自己表現があるのではないか、と思ってやっている」と語っていた。

アップで見ると、瞳がちがっていた。
やっぱりそうか、この人は、あれだと思った。

コントそのものはNHK用のもので、当たり障りのない物ばかりだったが、後に大シリーズになる『日本語教室』のプロトタイプも収録されていて「ああ、ここから発展したのか」という発見もあった。
顔を紅く塗っていて、そういう切り込み方からきたものなのね、と納得した。

今日、初日を控えながらも、中央区の保育士さん達向けの講演会を昼に行った。
タイトルはずばり『コミュニケーション論』。

私、そういえば、大学の時、特別講義ってのがあって、とある音楽評論家の方がパフォーミングアーツに関しての授業を一年担当なされた事がありまして、その頃、いろいろとまあとっちらかって文化的なことをやっていた私が助手の仕事を仰せつかり、一年やった訳ですよ。

で、最後の方でその講師である音楽評論家の先生が「じんの君、一回、君が授業をしてみるか」と、言われ、ちょうどその時、大学で主宰している懸賞論文に『現代広告概論』という論文で佳作入選していたってのもあって、一コマの授業を私が教壇に立って『現代広告論』の授業をあったことがあったことを思い出しました。
学生が学生に向かって教壇から「えー、今日はですね」とかやるわけですよ。

あれから25年。あんまやってることが変わらないなあ。
それでいいのか? いんだろうな? たぶん。
それをやるのも、かせられた仕事の一つなんだろうなあ。
たぶん。

それを今日、やりながら思い出したりしました。



今日でお別れの人々が去っていく。
打ち上げをやり盛り上がっている場合ではない。
今週初日の通しと、その開幕までの段取りを次々とこなしていく。

前にも書いたけど、何回やってもやらなければならないことは省略できない。
努力と労力の絶対量は必要だから。

だんだん、時間と日にちの感覚がなくなっていく。
本番中隙をみて、メモ用紙に書き散らしていた日記の整理をする。

一本、一本、役者と話し合い、方向性をどうするのか、なにを描こうとしているのか、これを通してどう互いに成長しようと思ったか、の変遷を書き写していく。
もちろん、全部が全部うまくいったわけではない。
でも、一ヶ月もやっていると驚くことが幾つも起き、そして驚くような絶望になんども御対面させていただいた。

驚かなくなってきている自分がいて、驚かなくなった自分が驚きを求めて、さらにその先に進もうとしているのが、自分でもわかる。

そうなるよなあ、やっぱり。
でも、そうなるんじゃないかと思って始めたことだからなあ。

さらなる驚きはどこにあるんだろう?

楽しみは増えもんだ、苦しんだぶんだけ。

明日、次のメトロの幕が開く。
まだできることを見つけて、丁寧に自分に忠実にやっていこうと思う。

今日、昼、本番やったあとで4つめの『メトロ』を通す。
今回、えらいボリュームなので、2時間を超えるから、どれを切るか、と考えてたんだけど、なんと2時間に収まっていた。
いや、よかった、よかった。

タイトル通り、明日で3つめが終わる。
結局、今回で第141話まできた。
07年のうちに目標の半分を超えたかったのだが・・・

まあ、ゆっくりやるさ。

脚本などの物書き仕事は全部終わってるんだけど、これから映像を作ったりしなければならない。



そして劇場から今、帰ってきたところ。

今日のお客さんで、今までのVol.22までの台本を全部買ってらした方がいらっしゃったとか。

まさか、自分の戯曲を大人買いされる日が来ようとは。
ありがたいこってす。

そして、4週目の詰め。
4週やれば1週くらいは、どこかでなにか起きるだろうし、できるのではないか、と思ったのが結局4週目に来た感じ。

どうだろう?

まだ時間はある。今、出来ているモノを破り捨ててもいいから、とにかく改心の一撃を。

300やるからといって、小物並べてもしょうがないわけで、300の中でダントツの燦然と輝くものを、なにか・・作らねば・・
三回目だからといって、省略できる仕事はなにもない。
三回目だろうがなんだろうが、こなさなければならないことはまったく同じ。

今日、昼にゲネをやって、夜に本番。
その間に、すべての稽古、そして、様々な打ち合わせ。
焦らずにこなしていくとちゃんと深夜がやってくる。

音響の前ちゃんが別現場に今日から入る。
音響、照明のオペを自分達でまかなうことになる。
万全の準備を整えてくれて、昨日、引き継ぎが終わり、前ちゃんの監修の元、ほぼゲネ状態の通しをやる。
問題はない。

四週目の目玉となる作品が、予想通りの方向に進んでいて一安心。

そして、前ちゃんが「じんのさん、こんなの借りてきました」と歴代特撮ヒーロー物のCD二枚組を貸してくれた。

またしてもマイナーな特撮物のオープニングはもちろん、エンディングまで入っている。
久々に『マッハバロン』のエンディング『眠れマッハバロン』を聞いた。
子供心にどうしてこんなにもせつない歌詞を思いついたんだろうと、不思議に思ったのだが、今、聞き直しても、同じ感想。

主人公の戦闘ロボットが眠る世の中が、平和で一番すばらしい時、っていう詩なんだけど、それはそうだけどさ、さっきまで子供ってのは「かっこいいなあ、がんばれ」って思って番組を見ているわけじゃない。
それなのに・・

ああ・・

でも、こんなふうに子供の心に違和感を持って、三十年以上経ってもまだ、それが違和感として残っているものを、いつかやりたいなあ。

ロボット物のエンディングなのに、切ないって、いいじゃない。

さて、映像しあげて、幕開けるか。

今日、明日と休演日だけど、もちろん、今週初日のものの仕上げの時間。

まったく気を許すことができない。
そして、長い人は一ヶ月、短くても三週間は毎日、顔を会わせていた役者達と、今日のこの時間をもってまたしばらく会わなくなる。

こっちはまだ折り返しで、緊張は持続しているからかもしれないけど、終わった役者の達成感に溢れた顔が、まばゆく見える。


客入れまでの間、音響の前ちゃんが、毎日、手を変え品を替えいろんな曲を持ってきてかけてくれて、なごませてくれる。

今日はでたらめ懐メロソング。
基本はアニメと特撮だけど、コマーシャルソングやら、有名なテレビの挿入歌、例えば『電線マン』の歌なんかもあったりする。

まさか、こんなものがCDとして残っているなんて、とびっくりする『ドボチョン一家』の歌が流れてきて本当に気持ちがあの頃にタイムスリップするんだけど、例によって、これがまた普通に歌えたりする。
『ドボチョン一家』の歌詞を覚える間になにか別のことをやっていたら、もっとちがった人生だったのに、と悔やまれる。

そして『アパッチ野球軍』の歌が流れる。
これもまた普通に歌える。
グローブが買えない、貧乏な子らが野球で頑張るアニメだ。
だって歌詞に「俺達ちゃ、裸足がスパイクさ」とかあるんだもんな。
たぶん、今、再放送したら「ピー」「ピー」ばっかりで台詞がききとれないような内容だった気がする。

なーんて話をしていたら、劇団員のカンちゃんが「この前DVDボックスを見ました」と言ってた。
ええええ!

この世のいったい誰が? 何人が『アパッチ野球軍』のDVDをボックスで購入しているんだ?
何セット売れたんだ?
そして、買った人は第一話から見ているのか?
その人は他にどんなDVDボックスを持ってるんだろう?
『海底少年マリン』とかかな。
『ふしぎなメルモ』のボックスとかも持ってそうだな。

恐るべし。
なんでも手に入る時代になった。
飽食の時代なんて言葉があった。
飽DVD、飽アニメの時代になった。

もう見切れない。人生が足りない。

『チキチキマシン猛レース』の歌には、一番と二番の間に実況がが入っていた。
その実況では戦闘を走っているのはヒュードロクーペだった。

ヒュードロクーペ!
もう一生、口にすることはないと思っていた単語だ。
そして、ワープロに打ち込むこともないと思っていた単語。

岩石オープン、ってのもあったなあ、と思い、よく考えると実に秀逸なネーミングではないか、と感心する自分に困惑する。

さあ、三週目の『メトロ』を作り始めないと。

でも、その間を縫って、べつの企画書を昨日、書いて送ったりもしている。
同時に全部勧めていかないと。
世の中は『アパッチ野球軍』のボックスを出す奴がいるからな。
どういうつもりだ。
いいんだけどさ、出ることは、見るチャンスが増えるわけだからさ。

でも、あふれかえって、なにしていいかわからなくなるのも確かだ。
今日で今回の半分の行程が終わる。

昨日、客演してくれているカプセル兵団の周ちゃんが「明日で私達は終わりですけど、まだこのあとも続いていくかと思うと、全然終わった気がしないんですよ」と言ってくれた。

それはそうだよ、だって、まだ半分まだ来たところで終わりなんて、遙か先だし、全300話までは、もっと遙か先だもの。

10x50KINGDOMの最初の10は10年続けて解散しようという、意味の10です。

先日結成1周年を迎え、残り9年となりました。
あと9年で、160本の『メトロ』の残りを上演できるのか? といったところです。
やりますけどね。

普通に考えると、160を9で割ったりして、平均値を出す方向になるのですが、我々はそんなことは考えちゃいません。

あと9年で160本を上演してしまう方法があるんです。

この一ヶ月公演中にずっと考えているのは、その平均値以外の方法なんです。

約40分を駆け抜けるパワーマイムが今日で終わってしまうと思うと、とても寂しいもんです。


でも、しかたない、演劇の宿命です。
「風に書かれた言葉」とある人が演劇のことを言いました。
今回の芝居は、初めて体感する突風のような言葉達が織りなす時間でした。


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